宝塚は旧Jの失敗から学んだ?

旧J事務所の記事が減ってきたと思ったら、今度は宝塚。

メディアは大きなネタ続きで忙しくて嬉しい悲鳴?ですか?

あ、失礼、ほとんど取材も調査もせず記事を垂れ流してるのが大勢なので、忙しくはなってないか。

ネット記者の事を揶揄してコタツ記者と言うらしいですが、大手メディアもコタツ記事しか書いてないのでは?

 

 

宝塚がご遺族の訴えに対して証拠を求めた、という事が批判されてますが。

 

批判されるような事ですか?

当たり前の事では?

 

その場に居なかった者には本当にいじめがあったのか無かったのかはわからない、聞き取り調査ではいじめがあったという事は確認できなかった、その上で、証拠もなしにいじめがあったとしてしまうと、いじめたとされている人たちの人権を侵害する事になります。

証拠もなしに一方の言い分だけで誰かを断罪するのは、法治国家としてあり得ない。

世の被害者はみんな、警察に被害届を出すか、裁判を起こすかして、自ら被害を立証しなければならない。被害者の立場からすれば理不尽な話ですが、冤罪や詐欺を生み出さないため、社会の秩序のためには必要な手続きです。

 

被害を訴えているのは同じなのに、なぜ芸能界の「被害者」だけ特別扱いになってしまうのか。

なぜ心証だけで世論が裁きを下してしまうのか。それが許されると勘違いしてしまうのか。

 

旧J事務所のケ-スもそうですが、世論が裁きを下してはいけない。

第一、私たち第三者は判断材料を持っていない。

 

ミステリという勿れでも言ってましたよね。

見る人の主観によって「真実」は変わる。

「真実」は人の数だけある。

だから「真実」ではなく「事実」を調べるべきなんだと。

「真実」というあやふやなものに捉われているから、冤罪事件などということが起こると。

ご遺族にとっての「真実」は、大事な家族がいじめやパワハラのせいで自殺した、なのでしょう。

でも、いじめたと言われてる側、また他の団員たちにも、それぞれの「真実」があるのかもしれない。世間が信じてる「真実」と違うからと言って、嘘をついてるとか隠蔽してるとか決めつけるのは時期尚早。

「事実」はどうなのか。今のところ明らかになってません。

私たち第三者は、今後の推移を静観するしかない。

 

「事実」ではなく、世論の多くから見える「真実」によって、ジャニー喜多川という人が犯罪者とされ、1つの企業が潰された。

 

そして次の標的は宝塚。

 

宝塚団員の自殺はいじめのせいなのか、そもそもいじめはあったのか無かったのか、私にはわかりません。

あったはずだと決めつけてる世論の多くも実は事実を知らない。

知らないのに報道やSNSを見て知ったつもりになってる。

知ったつもりで、正義のつもりで、加害者とされてる人たちを裁こうとしている。

それがまかり通ってる。

異常な事です。

 

何度も言いますが、司法を通さず私刑をしてはいけない。

結果的にそれが正しかったとしても。

 

イジメや性被害はあったとも無かったともどちらも証明が難しい。だから、旧Jの被害を訴えている人たちはメディアに訴えて世論を味方につけて事務所を追い込もうとし、事務所側も無かった証明が出来ないから、あった事を前提に対応せざるを得なかった。

そうしないと信頼が得られないと思った、

事務所もタレントもやっていけないと思った、

のでしょう(多分)

でも結局事務所は解体まで追い込まれ、タレントは多くの仕事を失った。


世論の圧力に屈して認めたが最後、もはや事実かどうかの検証も無しに報じたもん勝ち、言ったもん勝ち状態になり、旧J側は違う事に対しても違うと言えなくなった。ちゃんと裏取りしてから報道して下さいという当たり前の発言さえ叩かれる。そして、裏取りもしていない話が次々と垂れ流され、それを根拠に更に叩かれ潰される。

その旧J事務所問題の顛末を見て、宝塚は批判覚悟で「証拠」を要求したんじゃないでしょうか。

世論の圧力に屈して、立証出来てない事を認めてしまったら大変な事になるぞ、と。


しかも、旧Jと違って加害者とされてる人は生きてる。客観的立証なしに、メディア主導の世論の心証だけで誰かを犯罪者扱いしてその人の人生を左右する事があってはいけない。

一方に寄り添い過ぎるともう一方の人権が蔑ろにされる。

その意味で、宝塚の対応は今のところ正しいと思います。

調査が不十分だというのはその通りかもしれません。

もっとちゃんとした調査を求めるならわかりますが、あったはずだ(と世間の多くが信じてる)からとにかく認めろというのは違う。

 

宝塚は世論の圧力に負けず、客観的事実に基づいて対応すべきです。

宝塚が依頼したチ-ムの調査が不十分なら、警察に捜査してもらうなり、裁判なりで「事実」を明らかにして、その上で実際にいじめがあったとなったら、その時に責任をどう取るかを真剣に考えればいい。

まずは事実確認が第一歩です。

 

旧J事務所のように、批判をかわすためにその場しのぎで調子いい事を言ってると、ますます収拾がつかなくなり、問題が更に拗れ、結局より多くの人を傷つける結果になる。

 

旧J事務所のように、誠意のつもり、善意のつもり、で法の支配と社会の秩序を脅かす暴挙を行ってはいけない。

 

宝塚には法治国家・日本の一企業として責任ある対応を取っていただきたいと思います。